昭和40年代初頭の代々木上原駅近辺

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 私達は昭和41年に渋谷区立上原中学校に入学した。その当時の思い出をつらつらと書きたい。

 

 代々木上原駅は近代的な現在の姿とは全く違う、いたって牧歌的な駅の構えをしていた。

 

 改札口は上りホームの新宿駅寄りにあった。改札口を出て左にUターンして下北沢の方角へ歩くと何軒か商店が並んでいて、その中に小さな本屋さんがあった。生涯で最大の「良い子」の時期だった中学生時代、私はここで毎月、NHKラジオの「基礎英語」を買うのが習慣だった。

 

 なぜかこの本屋さんやその付近の事を思い出すといつも「カラス」も一緒が出てくるのだが、この辺りを根城にしていた「カラス」でもいたのだろうか。

 

 もう少し歩くと小さな上り坂があり、それを登り終わった所に小田急線の踏切があった。私と同じ越境組(いずれ後述する)だった某は、無理に遮断機を横切ろうとして電車を止めてしまい、我々も一緒に車掌さんにえらい勢いで怒られた。

 

 この坂の下には小さな公園があり、大きな甘柿の木が1本あった。この柿の木は枝を伸ばし、坂を上った所からもう少し手を伸ばせば柿の実が取れそうだったが、ほんの少しの所で手が届かない距離にあった。柿の実が生るシーズンになると、O君は雨でもないのに黒い長傘を学校に持参するので不思議に思って聞くと、この柿の実を取るのだという。

 

 彼と一緒の帰りがけ、長身の彼が傘の取っ手を柿の実にひっかけてグイと引くと、小枝ごと実が取れるのだった。彼はその日の収穫のうち一個を私にくれ、二人で公園で柿をほおばった。

 

 踏切をわたってさらに進むと当時はまだ細い道だった井の頭通りとの交差点があった。

 

 この道が私の青春にそこそこかかわってくる道になるとは、中学生のころは考えもしなかった。交差点の一画は、今は「古賀政男記念館」になっている。当時から「古賀政男」の大邸宅だったのだと思うのだが、自信はない。