とんでもなく長くて閉口した朝礼の時の校長先生の訓示

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 6年ほど前(2009年頃か)、単なるノスタルジアから上原中学校の「今」が見たくて再訪した時、そこにあった建て替えられた校舎はまるでマジックで取りだした建物のように感じられたものだ。体育館とプールが地下に、陸上トラックが屋上にある今の校舎がどんなものかはこれ 

 

 http://home.j04.itscom.net/uehara-j/kousya/annai-right.html 

 

を読んでもらえば少しわかるかも知れないが、やはり現場を見ないと想像できないと思う。

 

 校庭や丘の上に登る坂道付近をうろうろしていたら、男性の先生が出て来て誰何(すいか)された。「昔、生徒会の会長を2回もやった者だ」と言おうかと思ったが、面倒な事になりそうな(例えばお茶を飲んで昔話をさせられる)気がしたので、「卒業生です」とだけ言って退散した。

 

 我々の時代は正門をはいって右に2、3年生や職員室、理科実験室、音楽教室等がある本校舎、正面の丘の上に一年生の教室と体育館と技術工作室がある新校舎、左にプールが配置されていた。校庭は都心の学校にしては十分広かった。

 

 入学式の事は何も覚えていないのだが、「校歌」には違和感を感じた。

 

 「みどりのかぜはさわやかに、ひはさんさんと、てりそそぐ」

 

 という出だしで始まる歌詞もメロディーもあまりにも軽く、いま思うと洗濯物を干す時の為の歌のように感じたのだと思う。

 

 小学校(狛江町立第二小学校)時代の校歌の歌詞は格調高く、メロディーもブラームスの様に荘厳な曲だった。しかし毎週の朝礼で3回も歌うと、この違和感は消えた。

 

 朝礼で参ったのは「とみなが先生=失礼!漢字に自信がない)」という校長先生の訓示の長さで、入学祝いにもらった自動巻きの腕時計「セイコー・アクタス・ファイブ」で測ると、一回40分もかかるのだった。

 

 「休め」の姿勢で右足と左足に載せる体重を交互に変えても効果は少なかった。

 

 校長先生以外の先生はまるで持ち場を替えるかの様に適当に動き回っていらして、どうみてもその方が「休め」を続けるのより楽そうだった。

 

 校長先生の訓示は毎週一回聞いていた訳だから、何か一つくらいは記憶している話があってもよさそうなものだが、どんな話をされていたか、全く記憶ない。

 

 夏になり日差しが強くなると、校長先生の話の途中で倒れる女の子が出始めた。それでも先生は訓示を続けていらした。

 

 ちなみに、私は小学校時代の校長先生の訓示を一つだけ覚えている。それはケネディ大統領暗殺の翌日の朝礼で、先生は非常に昂ぶっていた。小学校4年生の時の話だから何の話だか理解していた筈がない訳で、ただ先生の昂ぶり方が印象に残っているのだと思う。

 

 クラス分けは入学式の日に発表された。そこで私は終生の友となる(今の調子ならそうなるであろう)友人たちと出会った。本当に幸運な出会いだった。

 

 運命の神様に感謝しなくてはいけない。

 

 一年生の教室は丘の上の「新校舎」の1階に1組から4組まで順に割り振られていた。日当たりも眺めも良く、申し分のない環境だった。

 

 小学校と違って科目ごとに先生が違う先生が来るのも、新鮮だった。それでも同じ授業を各クラスで合計4回もしなくてはいけないというのも、先生は大変だろうなと思った。

 

 詰襟の制服を着て、いっぺんに大人になったような気分になったのだが、大人になる洗礼はもっと激しいものであったことは次回の「旧姓K先生」のくだりで書く。