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上原中学校の時代の読書の思い出を書こうと思って、唖然とした。読んだ記憶がある物は「シャーロックホームズ全集」と「ガモフ全集」だけなのだ。
とにかく中学生時代は我が人生において「最も良い子(人間)」だった時代である。だから、本ももっと読んでいたに違いないと思い込んでいたわけだ。
でもこれらは両方とも各10冊はあった全集だから、これらだけでもまあ「立派」だと言う事にしておこう。
「シャーロックホームズ全集」は子供向けにリライトされた物だったと思う。オリジナルをそのまま翻訳したのでは、ロンドンの昔の事情をある程度知っていないと理解が無理なくだりがいくつもあったはずだ。
「ガモフ全集」というのは少年少女向けに書かれた、物理学と数学の啓蒙書で、これには大変な影響を受けた。人生のある時期まで(大学一年が終わるまで)将来は物理学者になろうと志すに至ったほどだ。
両方とも、学校の図書館で見つけただ。
それにしてもこの2つ以外は、読んだ記憶がほとんどない。
我ながらびっくりだ。
ハマったことのみに熱中する私の性格はこの頃からのものだった。
反対に驚いたのはアニメ、当時の言葉で「マンガ」の読書量の多さだ。
記憶としては、自分はマンガは小学生で卒業したとしていたと思っていたのだがとんでもない。
Webで調べると、私は少なくとも大学生の初めまでは「マンガ」に浸っていたようだ。
「巨人の星」
「あしたのジョー」
「釣りキチ三平」
「空手バカ一代」
「サイボーグ009」等々・・・
どれもストーリー性が非常に高い。
「おそまつ君」みたいなのもあったけれど。
一番、心に残っているのは「巨人の星」だ。
テレビでも毎週30分の番組でやっていて、「思い込んだら、試練の道を行くが男のど根性・・」という主題歌が今も心に残る。
ある回は一球投げるのにまるまる30分かかり、大人たちはそれを揶揄していたが、私はその30分を少しも長いと思わなかった。
それくらい熱中して見ていた訳だ。
我々のもう少し上の世代がどっぷりはまった「劇画」には、私ははまらなかった。
しいて言えば劇画の走りである「あしたのジョー」くらいだ。
「鉄腕アトム」「鉄人28号」等は、小学生時代のマンガだ。
私が中学生の頃にたぶんむさぼるように読んでいたマンガは、小学生時代のマンガとストーリーの厚みの点でまるで違っていた。
当時、「マンガ」は大人から悪者扱いされていて、読む事にある種の背徳感があった。
人間、自分の都合が悪い事は覚えていないと言うが、私もどうやってマンガ雑誌を手に入れていたのか、まったく覚えがない。
毎週読んでいた筈なのにもかかわらず、マンガ雑誌を買った覚えがないのだ。
借りて読んでいたのなら、貸してくれた相手のことを少しは覚えていそうなものだが、そのような友人の存在の記憶は全くない。
立ち読みはした覚えがあるが、まさか毎週と言う訳にもいかないだろう。
どうやってマンガ雑誌を手に入れて読んでいたのだろうか。
当時、少年向けマンガ週刊誌は、「少年マガジン」と「少年サンデー」の2誌あり、私は「少年マガジン」党だった。私たちの世代は、小学生の頃から両誌に親しんでいた。
ちなみに我々が小学校の低学年だったころは、マンガは月刊誌で読むものだった。「少年」と「ぼくら」がそれだったが、高学年になった頃には月刊誌は廃れていた。
「少年ジャンプ」は後発で、1968創刊というから、私達が中学三年生の時だ。
女の子向けのマンガ誌もあった。「少女フレンド」と「マーガレット」だと記憶する。しかしこれらには全く興味がなかったので、あまり定かではない。
後年、マンガのお世話になったのは「ベルサイユの薔薇」と「三国志」だ。両方とも単行本で数十巻はあった大作だが、おかげでフランス革命と、魏・呉・蜀の争いを印象深く知る事が出来た。
ちなみに私の父はその世代らしくマンガをひどく毛嫌いしていたのだが、ある時、横山光輝描く「三国志」を我々、子供から借りて読みふけっていた。様々な故事について「こういう事だったのか」と目を輝かせ、以降、マンガの事を悪く言わなくなった。
読書ではないが楽しみだったのは、オーケストラをスコア(総譜)を見ながら聴く事だった。
生まれて初めて買ったLP・「アルルの女」にたまたまスコアが付いて、このような楽譜の存在を知った。
さらに都心の大型の音楽専門店に行けばスコアを「本」で買える事を知り、ベートーベンの交響曲を中心に何冊か買った。
この点においては、普通の中学生にしては、ませた聴き方をしていた物だ。
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