10月のブログ

懐かしい「歌謡曲」と「グループサウンズ」の時代(1)

★このブログは「トライアングル」の検索表示順位の向上を図る為に書かれた物で、トライアングルの活動とは直接的関連はありません。

 

 私たちが中学生の時代(昭和41-44年)は歌謡曲の黄金時代の一部でもあり、また短い期間、花火のように炸裂したグループサウンズ全盛の時代に重なっている。


 今回は「歌謡曲」の方を取り上げる。


 小学生の頃は一切、歌謡曲には興味がなかった私が、中学校に入った途端、毎日、テレビの歌番組にかじりつくようになった。何がきっかけだったのか、もう忘れてしまった。


 その頃、最初に好きになった曲の一つが伊東ゆかりの「小指の思い出」だ。なぜあなたに小指をかまれたのか、オクテだった私には分かる訳もなかったが、伊東ゆかりの物憂げな歌い方が今でも懐かしい。

 

 似た様な傾向の歌には、小川知子の「ゆうべの秘密」がある。私は意味を考えずに歌っていた。


 加山雄三の「君といつまでも」も大ヒットした。今、思えばあんなクサい歌詞とせりふをよくも毎日のように歌っていたものだと思うが、あれも時代という物なのだろう。

 私は「お嫁においで」「夜空を仰いで」あたりまで、彼のファンだった。


 「御三家」と呼ばれた、舟木一夫、西郷輝彦、橋幸夫の中では、西郷輝彦のファンだった。「星のフラメンコ」は遠足の車中でマイクが回ってきて、独唱した。


 そして「石田あゆみ」だ。「ブルーライト・ヨコハマ」である。彼女の思い出は2つある。


 まず一つ目は当時の歌番組の中に、歌手に意中の人間を真剣に告白させることを売り物にしているコーナーがあるものがあった。

 早熟な上原中学校の同級生たちは、まるで自分のクラスメートの話を聞くかのように、このテレビ番組のこの告白コーナーを見て、翌日はその話で真剣に盛り上がっていた。しかし越境通学している田舎者の私にはこの真剣さに付いていけなかった。


 告白シリーズで仲間の興奮がピークに達したのが石田あゆみだったと記憶する。


 もう一つの話は少々込み入っている。ここ数年よくテレビで放映される「昭和のベストヒット」のようなタイトルのテレビ番組を見るのは、私の趣味の一つなのだが、これらを見ると自分が女性の美人の程度にいかに騙されやすい性質なのか、痛感する訳だ。

 

 例えば「山口百恵」などはデビューの頃の顔を見ると、言っては悪いが驚くほど不細工なのだ。

 もちろんその後、磨かれ、凄みさえある魅力的な女性になった訳だが、それでも彼女は「美人」だったのだろうか。

 と言いつつも、私はいまだに百恵ちゃんファンで、この間も「山口百恵・完全保存版(DVD5枚組)」を購入したし、先日は長年の念願であった国立のご自宅を見てきた。


 私を騙したもう一人の女性は「伊藤蘭」である。当初、キャンディーズのセンターが「田中好子」だったのもうなずける話で、まあ、これはこれ以上は書かない。ご想像にお任せする。


 何度も「昭和のベストヒット」的番組を見て、私は自分の審美眼についてすっかり自信を失い、「美」に数学的基準を求めた。

 「顔の面積に占める目の面積の比率」で目測で測ってみたのだ。その結果、この値が最大だったのが「石田あゆみ」という訳だ。


 ちなみにこの基準に従うと、「虹色の湖」を歌った「中村晃子」も値が高い。


 「千昌夫」の「星影のワルツ」には違った思い出がある。


 私の父はひどい音痴で、宴会の時にいつも恥をかいていたのだが、そのような父でも歌える曲をと母が探し出したのが、この曲である。3拍子の曲だが、歌詞の歌い出しが全て第一拍目にあるので、非常にリズムを合わせやすい。

 

 父は風呂に入りながら一生懸命、この歌を練習していた。

0 コメント