2016年1月ブログ

ショックを受けた「サイモンとガーファンクル」

★このブログは「トライアングル 上原中学校」の検索表示順位の向上を図る為に書かれた物で、トライアングルの活動とは直接的関連はありません。

 

  上原中学校時代に私を洋楽にいざなったきっかけがビートルズであるとすると、洋楽に本格的な興味を持つきっかけとなったのが「サイモンとガーファンクル」の「サウンド・オブ・サイレンス」だ。我々が中三(1968・昭和46年)の時の事だ。

 

 「サウンド・オブ・サイレンス」とは「沈黙の音(声)」とでも訳せよう。辞書を頼りに、「間違った事に対しては黙っておらずに抗議の声を上げよう。沈黙は『ガン』のように世の中で広がっていくのだ」という趣旨の歌だと中学生なりに理解した。ジョーン・バエズやボブ・ディランの系譜につながるプロテスタント・ソングな訳だが、当時はそんな事は知らなかった。

 

 彼らの2曲目のヒットが「スカボロ・フェア」だが、この曲の中で何度も繰り返し出てくる「パセリ・セイジ・ローズマリー・アンド・タイム」が何を意味するのか、私にとって長い間、不明だった。

 

 これは香辛料の売り子さんの「パセリにセイジ、ローズマリーにタイムもあるよ」という売り言葉が転じて、伝承民謡の際に掛け合いをする時に使われる、日本で言う「合いの手」の一種の物らしい。

 

 この話については後日、このブログで「スカボロ・フェア」というタイトルでもう少し詳しく報告する。

 

 「ミセス・ロビンソン」のヒットの後、「明日に架ける橋」を最後にこのデュオは仲が悪くなり、訣別してしまう。我々が高校生の頃だ。

 

 仲たがい後も「いとしのセシリア」とか「コンドルは飛んでいく」のようなヒット曲が出た。さらに昔のアルバムから「アメリカ」や「エミリー・エミリー」もシングルカットされた。

 

 しかしやがてポール・サイモンとアート・ガーファンクルの不仲は広く知られるようになり、今思えばこれらはむなしいシングルリリースだった。

 

 大学生以降の時代、私は「ポール・サイモン」へ傾斜した。彼がギターで奏でる繊細で叙情的な歌詞とメロディーにどっぷりはまっていた。しかしある時期からポール・サイモンは音楽の方向性を変え、アフリカ音楽の影響を強く受けたアルバムを出すようになった。

 

 この方向転換はアメリカでは広く受け入れられ、商業的にも成功したのだが、私の心はポール・サイモンから離れてしまった。彼のアルバムで手元に持っているのは「サイモンとガーファンクル時代」と初期のポール・サイモンのものだけだ。

 

 その頃のポール・サイモンのアルバムは名曲ぞろい、私の好みの曲ばかりで、ここで言及する曲を選ぶのに困ってしまう。

 

  最も好きな曲と言うと「時の流れに」だ。原題を直訳すれば「その後の何年かの間、いろいろな事があったけれど、まだ君の事を愛しているんだ」となる。道で再会した昔の恋人に対する文句で、二人はビールを飲んで語り合う。主人公は自分を社交的な方でもないし、新しいやり方に飛びつくタイプでもないと自覚している。不器用な人間なのだ。

 

 何か特定なものがあるかどうかにかかわらず、この歌のどこかが自分に重なってしまう。というか人間、皆、何かしらこの歌の歌うような部分を持っている物ではないかと思う。

 

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