8月のブログ

大徳寺大仙院の石庭からなぜ強烈なショックを受けたのか・・

★このブログは「トライアングル」の検索表示順位の向上を図る為に書かれた物で、トライアングルの活動とは直接的関連はありません。

 

 昭和41年に入学した我々の遠足の類で覚えているのはたぶん中二の時だったと思うが三浦半島の城ケ島への遠足と、中三の時の京都・奈良への修学旅行だ。二つともとてもすごく楽しかった。


 修学旅行では3つの事を鮮明に覚えている。


 「大徳寺大仙院の石庭」で雷に打たれたような啓示を受けた事と、「薬師寺で昔、焼け落ちた西塔を再建する」という計画の朱色の模型、帰りの夜行列車で口を開けて寝ていたら、みんなから「ポッキーを突っ込んで遊ばれていた」という話だ。


 大徳寺大仙院の石庭の件は、たぶんあれが「私が精神的に大人になった瞬間だった」と言って良いくらいのショックを受けたのだが、なぜ中学生の分際で「石庭」の様な難解な物からあのような強い啓示を受けたのだか長い間、不思議だった。

 

 4年前の58才の時に再訪し、謎が解けた。私は石庭から啓示を受けたというより、係員が語る「石庭が表すストーリーのナレーション」と合わせて見た石庭から啓示を受けたのだった。


 大仙院の石庭は、人間の人生のように、一緒に流れ落ちた水(友人・知己たち)が石に打たれて建物の左右を別れて流れ(別々の人生を歩み)、それぞれが幾多の困難や出来事に遭遇した末、建物の反対側でまた一つに合流するというストーリーを表しているという。


 まるで数十年ぶりの交遊の復活がなった、今の僕ら、上原中学校の卒業生仲間の話の様ではないか。当時の私はこのような話を「石庭で表現する」という事にショックを受けたのだと思う。


 西塔を火事で喪失していた薬師寺の完全再建を目指した朱色の模型からは、未来と過去が融合した不思議な物を感じ、強い印象を受けた。もっとも自覚的にはこういう話なのだが、実際は名物管長として知られた高田好胤さんの人を魅了する話の方に印象付けられたのかもしれない。


 帰りの夜行列車の中で見た夢は、西塔の再建がなり、東塔とあわせて双塔の寺に戻った薬師寺に迷い込んだ夢だった。ポッキーを口の中に入れられたのはこの夢を見ていた時だ。西塔は1980年(昭和56年)に再建され、その後にこの寺を訪れ、中学生の時に見た模型が実現している事を確認、いたく感銘した。


 城ケ島への遠足はこの辺りは土地勘があったのでよく覚えている。我が家は毎年一家で、葉山へ二泊三日の海水浴に行くのを恒例行事にしていたのだ。道中に我々の校名と同じ「上原中学校」があった事も覚えている。今、ネットで調べると三浦市立の上原中学校の事の様だが、同校はこの春に統合され、今は校名が変わっている。


 城ケ島では北原白秋の「雨はふるふる

 城ヶ島の磯に 利休鼠の 雨がふる


の歌碑をお土産に買った。「利休鼠」とは江戸時代にわびさびの感を表現した流行色で「緑色がかった灰色」の事だそうだ。


 バスの中ではガイドさんが「何か歌いましょう」というと必ずA君が「校歌」か、伊東ゆかりの「恋のしずく」を提案し、この2曲ばかりを歌っていた。校歌はともかく、「恋のしずく」の方はこんな歌詞だ。


 きっとからだの 中までしみるわ

 そしてあなたの  あなたの言葉を

 忘れないように したいの.


 この中に同級生の名前が隠されており、みんなでその部分だけ×××と大声で叫ぶのだった。


 飽きるくらいこれを繰り返しても、A君は最後まで「校歌」と「恋のしずく」をリクエストしていた。

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「技術・家庭」の工作で作った「椅子」はえらく長寿だった

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 先日のトライアングルの練習のあとは、代々木上原駅そばの「大勝軒」で二次会だった。この店の当主のS君に、インドネシアからたまたま一時帰国していたT君も加わり、男が4人にもなった。

 

 思い出話に花が咲き、ひときわ盛り上がったのが「技術・家庭(男子だから『技術』だ)」に作った椅子の事だ。

 大人が日常的に使うにはちょっと小ぶりな椅子でだが、角をすべて直角でかためた、武骨でみるからに頑丈そうな椅子だった。

 

 なんと男性4人のうち、私を除く3人がまだ現役で使っているのである。製作からたぶん49年。ものすごーい、長寿な椅子だ。


 使われているシチュエーションはさまざまで、玄関の脇に置いてあるとか、母親が布地を置くのに使っているとか・・・。

 

 どんな作り方をしたのかは誰も覚えていない。きっと糸満(いとみつ)先生のご指導の元、三角定規とかのこぎりとか金づちを使って作ったんだと思う。


 話をしていたら「ニス」のにおいがしてきた。

 

 これはたぶん、木工製品の「第二作」で、「処女作」は花瓶敷きだった。

 幅7センチくらい、長さ20センチくらいの板2枚をちょっとずらして、裏から木片をあてて固定したものだ。


 これも4人とも覚えていて、1人はまだ使っていた。

 

 ちなみにS君に代わって「大勝軒」の宣伝をしておくと、「大勝軒」なるブランドを立ち上げた時の創業グループは7人(?)だかだったそうで、そのうちの一人がS君の父君だそうだ。


 代々木上原の大勝軒は、いわば、創業グループの直系の血すじの店なのだ。


 マスコミで有名な池袋の大勝軒は、この創業グループの別の血すじのかたとのことらしい。

 S君の大勝軒は食べログでの評価も良く、実際、とてもおいしいと思う。

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