2016年2月のブログ

楽器との出会いはバイオリンだったが、私はイヤでイヤで仕方なかった

★このブログは「トライアングル 上原中学校」の検索表示順位の向上を図る為に書かれた物で、トライアングルの活動とは直接的関連はありません。

 

 私と楽器の出会いは小学校2年生の時に母に連れていかれて通った「バイオリン」の教室だ。遊びたい盛りであり、このバイオリン教室通いもそのための練習もいやでいやで仕方がなく、ある時は激しく抵抗して、両親からひどくおこられた事もあった。しかし、バイオリンは勘定すると結局、通算して4~5年くらいは習った。身に着けたのは音楽的な直感と忍耐力だった。

 

 中学校に入学しすぐに母に買ってもらったのは「トランペット」だった。しかしじきに飽きてしまい、中一の暮れに「クラッシック・ギター」を買ってもらった。バイオリンでの経験が生き、苦も無く「調弦」ができた。 当時は現在の様な調弦の為の小道具がなく、ギターの初心者の最初のハードルがこの「調弦」で、次が「バレー」と呼ばれる左手の指使いだったのだが、この第一段階をいともたやすく通過できた訳だ。これだけはバイオリンに大変、感謝している。

 

 「一週間で弾ける『禁じられた遊び』」というテキストを買って練習したら、4日目にはもうこの曲が弾けてしまった。その後、「フォーク・ギター」に乗り換え、以降、ギターはいつも私の人生とともにある。 大学時代は日本のフォークでは吉田拓郎、井上陽水、高田渡、さだまさし、かぐや姫、長谷川きよし、荒井(松任谷)由美等を弾きまくり、歌いまくった。歌謡曲やポップスも随分と歌った。

 

 小学生の頃、家に「オルガン」があった。母はほんの少しだけピアノの心得があって指使いを教えてくれ、私は適当にこのオルガンで遊んでいた。すると母はアップライトの「ピアノ」とバイエルの教則本を買い(今思うとかなりの冒険的な大型投資だ)、私はオルガンからピアノに乗り換え、自己流で楽しんだ。

 

 ピアノとの付き合いは人生で断続的に続いた。しかし所詮は我流で、聴く人が聴けば、聞くに堪えない代物なのだが、クラッシックの曲では最盛期にはリストの「愛の夢」、ショパンの「別れの歌」、ムソルグスキーの「展覧会の絵」などの中・上級者向けの曲の、簡単で私でも弾ける部分だけを弾いて楽しむようになった。

 

 ポピュラー音楽ではエルトンジョン、ポール・サイモン、ビートルズ、ビリー・ジョエル等をピアノで弾き語りして、この時に得た技を社会人になってからも銀座や渋谷のクラブでの飲み会で何回も披露、かなりうけた。 私のピアノの弾き語りの中では「酒と泪と男と女」「あんたのバラード」「僕の歌は君の歌」「明日に架ける橋」等が特に評判が高かった。ギターの弾き語りで評判が良かったのは「時の過ぎ行くままに」だった。

 

 3年ほど前、59才になった頃に近所にピアノ教室がある事を知り、生まれて初めてピアノをお金を払って「先生」から教わる事にした。先生は桐朋学園大学のピアノ科の妙齢の大学院生で、今はプロの卵、いやもう「プロそのもの」になっている。 レッスンの後、時々、彼女の幻想即興曲やラ・カンパネラ等のショパンやリストの演奏をなまで聴かせてもらう。グランドピアノの、メカニックの音が体に響いて聞こえてくる距離で聴く、ライブ感、満点の至福の時間だ。彼女は今年1月、スメタナの「モルダウ」のピアノ連弾版でCDデビューを果たした。

 

 国立音大でピアノを学び、その後音楽の先生になった上原中学校の同級生の女性からも、少し教わった。内輪の「ミニ発表会」で、ソプラノの伴奏をするためだ。彼女の演奏の技量の方は分からないが、さすが元音楽の先生だけあって教えるのは上手だった。この年になってやっと楽譜の記号や、演奏への指示を守る事の大切さを知った。

 

 ピアノとギター以外も随分といろいろな楽器に手を出した。 上原中学時代、「フルート」に憧れブラスバンド部に入学したのだが割り当てられたのは「ホルン」、この楽器には性が合わなかった。フルートは大学生の頃、安物を一本買った。

 

 「リコーダー(バロック・フルート)」は高校の先生がその道の本格派の「多田逸郎」という先生だった。私は影響を受けて、一時、ピッコロからバスまで5つの長さのリコーダーを持っていた。

 

  中学の同級生のK君の家には「お琴」と「尺八」がたくさんあり、両方とも音階を探り出せたのでこれらで加山雄三の「夜空を仰いで」他を弾いたり吹いたりした。「エレクトーン」は親友N君の家にあり、お姉さんの手ほどきで足も使ってプロコルハルムの「青い影」を弾けるようになった。しかし以上の楽器はいずれも音楽的に楽しむレベルにはいかなかった。

 

 会社退職後の現在の「音楽人生」はとても充実している。上原中学校時代の仲間と合唱サークルの「トライアングル」を立ち上げたのだ。自主公演や老人ホームでのコンサートを2年間の間に5回も開き、もうじき6回目が催される。私の役目は主に伴奏のピアノである。

 

  ピアノの先生のところにも引き続き通っていて、先生の生徒さんたちの発表会に一回出た。昨年の秋には「お金を払えばプロと同じセッティングでそこそこの数の聴衆もいる」というステージでピアノを弾いた。

 

 2年間で、合計8回もステージに立つのだから、厚かましさもここまでくると堂に入ったものになっている。

0 コメント

東京声楽フレンズ・新春コンサートを楽しんで

★このブログは「トライアングル 上原中学校」の検索表示順位の向上を図る為に書かれた物で、トライアングルの活動とは直接的関連はありません。

 

 配布された「プログラム」に実名が出ているので、記載されたお名前を引用してよいと思う。  昨日は声楽家の「橋本雅央」先生の門下生の皆さんの「発表会」を聴きに行った。

 

 場所は新百合ヶ丘から徒歩数分の昭和音楽大学内のホール。

 

 出不精の私としては通常はこんな物好きなコンサートには行かない。

 しかし中学校時代の同級生のお誘いがあり、同窓生7人(?)で今年も見に行った訳だ。

 

 彼女が歌ったのは「蝶々夫人」より「ある晴れた日に」だそうだが・・・、

 「だそうだが」といのは、私の知っているメロディーと違っていたからだ。

 

 でもよかったです、「栗原幹子」さん。

 

 のどが直前まで調子が悪かったとのこと、 また本人の弁によると、かならずしも当日の出来は良くなかったとのこと、 

  しかし、聴いていた側からすると、十分にすばらしかったです。

 

 おまけにお気に入りの黄色のドレスが似合っていました。

 

 もう一人の同級生、「伊達山正雄」さん、橋本先生門下生ではこれが初舞台?

 二人目として登場された。

 

 良かったのは「竹田旬一」さんという方で、歌劇「エルナーニ」の迫力が抜群。

 彼は去年のこの発表会でも、すごい存在感があった。

 

 「門下生の発表会」なので、後半にいくほど上手になる。

 前半で取り上げると、「長田宣子」さん。前半戦の中では印象に残りました。

 

 アンサンブルの「六期会」、シューマン2曲でしたが、非常に聴きごたえがあった。

 これはそうとうなものだと思いました。

 

 門下生の〆めで出てこられた、「森岩道子」さん。〆めともなるとプロクラスで・・・

 隣に座った友人がiPadでググったのを見せてもらうと、何件かヒットしていました。

 

  そこで「橋本雅央先生」の〆め。

 これはもう「別格官幣大社」(と言っても若い方にはわからないでしょうが)なのでした。

 

 去年に引き続き、予想外に楽しめた「コンサート」でした。

0 コメント