「生徒会長」という役はそれほど大変ではなかった

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 人生で「一番、良い子」だった中学時代、生徒会の会長を二回もやった。これは上原中学校の歴史でも初めてのことだった。

 

 一回目は「君がやりなさい」と先生に言われたのだと思う。二回目は「悪いがもう一回やってくれないか」と生徒会担当の先生に頼まれた。

 

 二回とも選挙をした記憶はない。

 

 生徒会長としての業務は結構あったはずだ。というのも、二回目(三年生の上期)の時は仕事を各部長に投げるこつを覚え、「ずいぶんと楽だな」と思った記憶があるのだ。

 一回目(二年生の下期)の時は、なんでも自分で首を突っ込んでいたのだと思う。

 

 しかし会長として日常業務的にやっていたことについては、何も覚えていない。

 女子の部長さんにずいぶんと頑張ってもらった記憶だけが、うっすらとある。

 

 まいったのは「校旗」が非常に重かったこと。

 最近、テレビで見ていると入場行進の時に使われる旗はずいぶんと軽量化が図られているようだが、上原中学校の校旗はずっしりと重かった。

 

 当時の私は今とは違い、ガリガリにやせた軽量級だった。

 「旗」自体が重かった。布地がぶ厚いうえ、刺繍もたっぷり施してあった。

 おまけに「棒」がまた重い。

 

 これを掲げ持って、運動会の入場行進でトラックを一周するのはなんとかなった。

 大変だったのは渋谷区の区立中学校の連合体育大会を国立競技場でしたときだった。

 400mのトラックが長かったし、来賓等のあいさつの間も掲げ続けていたはずだ。

 

 卒業式の送辞とか答辞をふくめて、式辞の挨拶も何回かやらされた。

 

 一番まいったのは三年生の四月、新入生のための入学式での歓迎の辞をしゃべった時だ。生まれて初めて人前で本格的に「あがる」という体験をした。

 壇上のマイクの前に立って正面を振り向いたら、100数十名の新入生と彼らの200名以上の父兄・父母の視線を一身に集めていた訳で、ひざががたがた震えた。平静を装って原稿を読むのが精一杯だった。

 

 自分が準備不足であることには段上に登る直前に気付いていた。自分で書いた原稿をろくに読み返していなかったのだ。

 

 しかしこの時の体験は私にとって大変貴重な経験になった。生徒会の会長という役から得た最大の収穫といってよいほどだ。

 

 「あがり」を防止するためにはまず何よりも「準備」を怠らない事。

 そして、プラス、私なりに模索して体得した「おまじない」をかける事。このおまじないはわたしにとって、ラグビーの五郎丸選手のポーズみたいな「ルーティン」となり、以降の人生で何度これに頼ったか、分からない。

 

 不思議な事に、わたしがあがりにあがったこの入学式の挨拶は好評で、ある父兄の方が「素晴らしい挨拶だった」とPTA向けの学内新聞に書いてくださった。それを見つけた母は大喜びをし、その部分を切り取って、今でも保存している。

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