ブログ12月

ビートルズとの出会いは、ながら勉強で聴いていたラジオだった

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 私が人並みにグループサウンズに夢中だった中学生時代が終わると同時に、グループサウンズ自体も勢いを失った訳だが、まだこれらに勢いがある時期に重なっていた中学3年になった頃から、私は洋楽にも目を向けるようになった。


 きっかけは親に買ってもらったラジオで、「ながら勉強」をしていると何回もかかる、気になる曲があった。「レディマドンナ」という題名である事が分かるまで、若干の日時を要した。ビートルズとの出会いである。


 Webで調べると日本での発売開始は私たちが中三である1968(昭和43)年4月だ。この頃のビートルズのシングル盤のリスト見ると懐かしい曲が並んでいる。「ヘイ・ジュード」「オブラディ・オブラダ」「レット・イット・ビー」「ロング・アンド・ワインディング・ロード」・・・。


 ポール・マッカートニーがビートルズ脱退を表明=ビートルズ解散の実質的な決定となったのが、1970(昭和45)年4月。我々が高校二年になった直後だ。


 勘定の仕方にもよるが、ビートルズが「現役」として日本で出したシングルは43枚。「レディマドンナ」は35枚目のシングルなので、私はぎりぎりビートルズの現役時代に間に合った事になる。ほんの2年間とはいえ、ビートルズと同時代を生きることが出来たなんて、なんと幸せな事だろ。


 なお上原中学校の仲間の女性が誤解していたので書いておくと、「ヘイ・ジュード」は女の子が男性に呼びかけている歌ではない。ジョン・レノンは先妻との間に「ジュリアン・レノン」という息子がいて、ポール・マッカートニーがこの「ジュリアン」に向かって、「元気を出して、思い切ってやれよ!」と歌いかけている歌だ。


 「オブラディ・オブラダ」は折に触れてスペイン語とかいろいろ調べたのだが、なかなか意味が分からなかった。今、調べると「Wikipedia」に「オブラディ・オブラダ」という項目がある。「人生は続く」という意味らしいが、なんだかよく分からない説明が書かれている。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%80


 私はビートルズの4人の中で、当初「ポール・マッカートニー」が好きだった。ところが大学生になった頃から「ジョン・レノン」の方が気になるようになった。そしてジョン・レノンが暗殺された1980(昭和55)年の暮れ、以降、本格的にジョンに傾斜する。


 ポールの曲の魅力はメロディーの美しさと彼の歌唱力にある。ジョンの曲はメロディーはシンプル過ぎるし、歌詞も荒削りだ。しかし曲にも、歌詞にも歌い方にも、魂を揺さぶられるようなところがある。

 

 代表曲である「イマジン」にしても、ピアノで言えばバイエル後半からソナチネの入り口程度の曲だが、2001年9月にNYが襲われた同時テロの様なタイミングで聴くと、不覚にも涙がにじんできた。


 大学生の時代は小遣いも乏しく、他にも好きなアーティストが沢山あったので無理だったが、社会人になってレコードがCDに置き換わった時、ビートルズのオリジナルアルバム、全12枚を揃えてしまった。

 

 さすがに4人のソロのアルバムは全ては揃えていないが、これら12枚に4人のソロアルバムの何枚か、海賊版も含めた各種のベスト盤、リミックス盤、スタジオライブ盤、さらに第三者によるカバー盤も含めると40枚前後のコレクションになっていて、私の宝物である。

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